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中島三郎助に思いはせ、浦賀でイベント/横須賀

更新日:2013/09/24

浦賀奉行所与力としてペリー艦隊の来航時に米国との折衝に当たった中島三郎助(1821~69年)の足跡をたどるウオーキングイベント「歴史の街浦賀に中島三郎助を訪ねて」が23日、ゆかりの地の横須賀市浦賀で開かれた。

地元住民らでつくる「中島三郎助と遊ぶ会」、市内の歴史サークル「湘南海援隊」、伝統文化の継承を目的とする市民団体「よこすか志掌会」の3団体が、開国の地である浦賀の歴史をより多くの人に知ってもらいたいと企画した。三十数人の参加者は三つの班に分かれて京急線浦賀駅を出発。日本初の洋式軍艦・鳳凰丸建造などその業績をまとめた資料が展示された浦賀文化センター、三郎助の顕彰碑のある愛宕山公園、堀や入り口の石橋が今も残る奉行所跡などを訪ねながら、観音崎公園までの十数キロのコースを散策し、勝海舟らとともに活躍した幕臣に思いをはせた。

愛宕山公園では、太平洋を横断した咸臨丸の96人の乗員の名前が刻まれた出航碑も見学した。造船や操船の技術にたけていた三郎助が乗員に選ばれなかった理由について、案内役の湘南海援隊のメンバーからは「艦長として人選に当たっていた勝との確執が原因」との説が紹介される一方で、「ぜんそくの持病が理由という説もある」との見方も示され、参加者は興味深そうに耳を傾けていた。横須賀市佐野町の専門学校生(26)は「幕末から明治にかけて歴史の舞台に登場する横須賀のことをより知りたくなった」と話した。同市林の会社員(26)は「ずっと横須賀に住んでいるが初めて知ったことが多く、勉強になった」と喜んでいた。

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